2006年1月アーカイブ

修道士カドフェル・シリーズの2作目である。

ハヤカワ・ミステリマガジンで、カドフェルものは掌編的なものは読んだことはあるのだが、きちんとまとまった中編は初めてだ。リサイクルショップで、とびとびに買い込んだので順々にレビューしよう。


まずは、この「死体が多すぎる」である。
時は1138年。舞台はイギリスのシュールズベリ。

といってもシュールズベリってのはどこだ・・・とググッてみると、「中世の都市」ってページがある。このページによると、イギリスの本島の真ん中より下の辺りかな、ウェールズの近くで、11世紀のノルマン・コンクエストの時に防衛の要としてつくられたとある。

ノルマン・コンクエストってのは何だ、と今度は、この本の解説を見ると、1066年にノルマンディー公ウィリアム、イングランドを征服して「ノルマン王朝」ってのが始めたことのよう。 要はフランス人にイギリス人が負けちゃって王様になられてしまった、っていうことか。とはいっても、フランスといった国家意識が芽生えている時代ではないから、ノルマンの王様がイングランドも支配下にいれてしまったぐらいの意識だろう。

このウィリアム1世の没後、三男のウィリアム三世、四男のヘンリー一世が後を継いだが、このヘンリー一世が跡継ぎに娘のモード(この女性はフランス北西部のアンジューの伯爵と結婚していたらしい)を指名するが、旦那の支配地にいる間に、イングランドの貴族がヘンリー一世の妹の息子のスティーブンを王にすることに同意してしまったから、モードがおさまらない。王位を返せって訳で十数年、内戦が続く、といったあたりが、この小説の時代風景。

先だってレビューした食べ物本の名著「食は広州に在り」と並び立つ「壇流クッキング」である。

著者は、壇 一雄さん。「火宅の人」で有名な小説家とか、壇ふみさんのお父さんといった紹介フレーズがあるのだが、今も通用するかどうか怪しい。

ともかく、そういった有名な方の食べ物本である。時代的には昭和45年にサンケイ新聞に連載されたものなので文中の食べ物の値段やら世相についての記述はさすがに古めいてきているが、昭和40年代を切り取ったエッセーとも考えて読もう。

とりあげられていることは、ものすごく贅沢なものとか貴重なものとかはないのだが、
40数年という時間を感じさせるところが随所にある。


例えば「タケノコの竹林焼き」のあたり。

掘りたてのタケノコ2、3本用意して、それを竹皮のついたまま中に穴をあける。そして生醤油を流し込み、大根かなにかを削ったもので蓋をする。

そして、そして、である。


<そこらの枯葉、枯木を寄せ集めて、あらかじめ焚火を焚いておき、そのタケノコを半分灰の中につっ込むようにして焼くだけだ。>


・・・「だけ」って言われても、今は困りますよね。

「しゃばけ」でデビューした廻船問屋兼薬種問屋長崎屋の若旦那"一太郎"と手代の佐助と仁吉、妖の鳴家や屏風のぞきのシリーズの2作目。


1作目は中編であったが、今回のこの本には

「ぬしさまへ」「栄吉の菓子」「空のビードロ」「四布の布団」「仁吉の思い人」「虹を見しこと」の6編が収められている。

いずれも、独立した短編なのだが、1作目の「しゃばけ」のいくつかの場面の補遺とも思える短編もある。


全体を通じてキャストやそれぞれの役回りは前作と同じ。若旦那は相変わらず病弱で、ちょっと外に出たかと思うとすぐ熱を出して寝込んでしまうし、犬神と白沢の変化である手代の佐吉と仁吉は一太郎に大甘だし、妖たちは、一太郎のまわりをうろちょろしている。ただ、前作とちょっとかわってきたのかなと思うのが、一太郎の毎夜の菓子や酒の振る舞いになついたのか、鳴家や屏風のぞきが喜々として一太郎の事件捜査を手伝うようになってきていることと、一太郎が大店長崎屋の将来の大旦那としての自覚をもたなきゃ、と思い始めていること。
特に、後段の一太郎の変化の兆しは、次の作品の伏線ともなっていくのだろうと思わせる。



さて、この本の作品について、ネタバレにならない程度にレビューをしよう。


「ぬしさまへ」は苦味走ったイケメンの仁吉の袂に、付け文(ラブレターですよ。念のため)らしきものが入っていたことから始まる。"らしき"ものと書いたのは、その手紙の字が付け文らしからぬ、とんでもない金釘流で、なかなか読めないという代物。いったいこれはなんじゃと皆で思案中に、どうもこの付け文の出し主らしい、小間物屋天野屋の一人娘が殺される、という事件がおきる。さて犯人は・・・、というもの。


色恋のもつれであることは間違いないのだが、底意地の悪い女は怖いな、といったところ

食べ物本について、いくつかレビューを書いたが、最近のものだけでなく、古典といわれるものもとりあげてみよう。

まず、今回は、古典中の古典「食は広州にあり」。
著者は、経済小説から財テクまで幅の広い邱永漢さんである。
この作品。解説をみると昭和29年から32年にかけて雑誌に連載されたものとのこと。しかも、吉田健一「舌鼓ところどころ」、檀 一雄「檀流クッキング」といった作品より前に発表されており、食べ物本、グルメ本の先駆け的存在といってよいだろう。

始まりは「食在広州」という章から。衣食女のうちどれを選ぶかといったら、中国男性は迷わず「食」を選ぶだろう、といったところからスタートしている。

このスタートから見ても、旨いものの紹介本だけではなく、食べ物を材料にしたエッセーとしても考えたほうがよい本であることを窺わさせる。

例えば、

子豚の丸焼きは、中国のとある地方で偶然、豚小屋が火事になり焼けた豚をさわった指を口にしたら非常に旨かったことから始まったが、その地方では子豚の丸焼きを食べるために家に火をつける輩がでてきた、とかいった与太話があるかと思えば、


日本人は目で食い、西洋人は鼻で食い、中国人は口で食うといった、それぞれの「食」についての概念について語られたり、


十二切れの豆腐のために鶏を二羽つぶしてダシをとる「太史豆腐」や麺の中にえびの子の入った「蝦子麺」などなどの料理の話


おまけに、料理人とみなされて奥さんが入国するビザがおりない、とかいった戦争の傷は癒えかけ高度成長に入りかけている時代を反映した話

などなど

しかも、そこかしこに中国と日本の比較論、あるいは実と虚の比較論がちりばめられているといった具合。

江戸を舞台にしたファンタジーは、ちょっと手を出し辛かったのだが、登場人物たちの設定と語り口の軽妙さに惹かれ、思わず手にしてしまったのが、この「しゃばけ」
このシリーズは、「ぬしさまへ」「ねこのばば」「おまけのこ」とあるが、シリーズの第一作目にあたる作品。


江戸ものの主人公というと、やおいっぽい御役者か過去をもってる岡っ引、あるいはニヒル浪人か剣豪マッチョ・・・といったところが定番で、定番くずれでも、暇を持て余す旗本か大店の次男坊といったところ。

犯人探しとはいっても、若旦那はすぐ熱を出して寝込んでしまうような質だから、捜索の主体鳴家で、あとは店出入りの岡っ引や幼馴染の菓子屋からの情報といったアームチェア・ディクティティブ。しかし、若旦那が、どっちかというと"ぽー"とした"のほほん"タイプでなんとも頼りないので、こうした安楽椅子探偵にありがちのスノッブな臭みがないのが嬉しいところ。

この「しゃばけ」の主人公は廻船問屋の一人息子の"一太郎"というところは定番を掠めているのだが、小さな頃から病弱で、店では、とんでもなく過保護にされている。 おまけに屏風のぞきや鳴家(やなり)といった妖がまわりをうろうろしているし、幼い頃から一緒に育った手代の佐助の仁吉は、これまた犬神と白沢という妖怪変化。

このシチュエーションを考え付いた時点で、この話を面白くなるよな、と感じさせるような仕掛けである。

で、こうした若旦那と妖が何をするかというと、若旦那が店に内緒で外出した帰りに、大工の棟梁が殺されるところに出くわしたところから、次々とおこる殺人事件の犯人捜しに手を出してしまうという筋立て。

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