下川裕治 「バスの屋根から世界が見える」(双葉文庫)

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毎度おなじみの下川裕治さんの旅本だが、今回は珍しくアジアやタイといった地域をネタにしたものではなく、「交通機関」しかも「バス」をネタにした旅本を見つけた。
(ちょっと刊行は古いのでリサイクル・ショップあたりでないと見つからないかもしれないが・・・)

なぜ、「バス」なのかということはそんなにはっきり書かれているわけではないが、

アジアやアフリカのバスについての


僕が訪ねた国は圧倒的に貧しいアジアやアフリカが多かった。こういった国の移動の足はもう気が滅入るぐらいバスである。線路を敷く資本力がない国々の輸送手段は、バスへバスへと流れるのである。道さえあればバスは走れる。いや道がなくても日本製の中古バスは走ってしまうのだ。

というあたりや、先進国を旅する場合の


僕は新聞社や出版社の編集部に右往左往を強いられるフリーランスのライターだから、金にはとんと縁がないのである。そういう人間が、困ったことに旅の中毒患者なわけで、年に二回、三回も旅に出ようと思えば、経費をこれでもかと削るしかない。そこでたどり着くのは、やはりバスなのである。豊かな国にも、もちろん貧しい人々は掃いて捨てるほどいるのである。そんな人にまざってバスターミナルの列に並び、十時間、二十時間と狭いシートに座り続けたのである。

というあたりに象徴されているようだ。
あえて表現すると「バスは、その国を象徴している」といったところだろうか。

収録は

・すべての車はバスになるーにせジープからトラックバスまで
・運転手に我が身を託すバスの旅ー危ないドライブ同乗記
・シルクロードを揺られ抜くー天山南路のバスの四重苦
・難民を乗せてバスは行くーパキスタンからイラン国境へ
・圧死寸前!スマトラの超満員バスーそれでも車掌は検札の回る
・スーダンの列車とバスは生き地獄ー炎熱、砂嵐、迫り来るサソリの恐怖
・ビデオが止まればバスも止まるー映画大国インドの不思議なサービス感覚
・世界最高所を走る最低の路線バスー飢えと寒さと怒りにふるえたヒマラヤ越え
・明日は明日のバスが来るー寝不足ふらふらイラン縦断旅行
・ああ、エーゲ海は目前なのにーイスタンブール発アテネ行き足止め事件
・目覚めても、目覚めてもバスの中ーアメリカ縦断ロンゲストドライブ
・バンクーバーから北極圏をめざすー夜が悲しい北緯六十度の夏体験
・国境の遙か南、メキシコシティへー四十四時間、昼夜ぶっとおしの一気乗り
・ヨーロッパにもバスがあったー「安い、速い、疲れない」三拍子の意外
・「バス遊び」は楽しい推理ゲームー市内路線バスのシステムに挑む
・バス停で停まらないバスもあるー荒くれバスとバス停の創造

と、たしかにアジア・アフリカだけでなく、世界のありとあらゆる場所をカバーしている。このあたり、「バスの旅はきらい」といいながら、さすがプロの旅人である。

そうしたプロの旅人から見ても、途上国のバスは、

とくに発展途上国の人々は、バスや列車の屋根というものは、荷台にするのは当然であり、社内の席がいっぱいなら人がそこに座ってもかまわないという発想の持ち主である。

であったり、

その国が貧しければ貧しいほど、バスの運転手はスピード狂と化す。アクセルを踏むことをこよなく愛すスピードマニア的傾向を強めるのだ。途上国のバスの運転手はとにかく威張っている。社会的な地位や給料が高いのかどうかは知らないが、バスのなかでは絶対的な権力者なのである。お客様は神様でもなんでもなく、運転手の従者に過ぎない。

といった風で、やっぱりアジアやアフリカのバスは侮れもののようである。

さらに

世界三大地獄交通機関は

・一日乗ると必ず骨折者がでる中国のジャンピングバス
・一日乗ると一人は熱で倒れるスーダンの炎熱列車
・体がボロボロになるパキスタン南部のバイブレーションバス

と言われているが、

ジャンピングバスは中国の専売特許ではなく、悪路とドライビングテクニックの荒さが重なった場合に、また、バイブレーションバスは舗装されていない”でこぼこ”の道を、整備が行き届かないバスで走った場合に起きることを気付き、

ということは途上国のバスのほとんどがあてはまることに愕然としてくるのだが、

このほかにも

番外の地獄バスと言っていい「スマトラの圧死バス」

ビデオが停まると修理に来た道を戻ってしまうインドのバス

運転士には食べるものがあるが、乗客には食べるものも湯もない中国のヒマラヤ越えバス

などなど、途上国のバスの「多彩さ」にくらくらしてきてしまう。

ただ、こうした途上国のバスは、その環境が劣悪であることには間違いないのだが、なにかしら明るい。
それは、国全体、あるいは国民の大多数が、そのバスと同じような状況にありながら未来に対する、無条件なエネルギーを秘めているからだろう。
発展を目指す明るさの前には、たいていの貧しさは色を失ってしまうからなのだろう。

これに対して、先進国、例えばアメリカのバスは、設備や環境は比較にならないほどアジアやアフリカのバスより上のはずなのに、どことなくうら寂しい印象を与える。

例えば、カリフォルニアを出発するアメリカのグレイハウンドバスには、アメリカ人などほとんど乗っていらず、メキシコ人が大半であるし、ディープサウスでは肥った黒人が多くなり(肥満問題が深刻なアメリカでは肥っていることは「裕福」の象徴ではすでにない)、東海岸に沿って北上するバスはの乗客は老人が多くなってくる、といった風である。


日本も終戦後間もない頃から、高度成長期はアジアのバスのように妙な猥雑さと熱気を持っていたものが、いつの間にか、「過疎バス」という言葉に象徴されるように、バスというものが人のほとんど乗らないうら寂しいものに変わってきてしまっている。

「バス」はその国の猥雑なエネルギーの象徴なのかもしれないなーなんてことを、一読して思ってしまうのである。

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このブログ記事について

このページは、辺境駐在員が2006年7月20日 06:00に書いたブログ記事です。

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