2007年2月アーカイブ

近頃、旅本といえば蔵前仁一さんのものを読むことが多いのだが、本書はひさびさに蔵前氏のお得意の地「インド」である。

旅本作家によって、お得意というか、取り上げる地に偏りがあることは、この前のレポートに書いたところだが、やはり、お得意の地となると、作者の思いの入り方も違うのは、この本の場合も変わらない。


インドといっても、そこは大国なので、北から南、あるいは東から西まで、行くところによって風情も何もかわってしまうのだが、この本で主にとりあげるのは、北インド(ダラムサラ、ニューデリーカルカッタ)、チベットあたりである。


で、北インドの旅はどうかというと、そこは、やっぱりインドはインドで、

おまけに旅慣れた筆者のようなバックパッカーは、なおさら現地の人に近い安いホテルや、路線バスでの観光を目論むものだから、本当に出発するのかどうかわからないバスチケットを買って、やはり、お決まりのように行き先の違うバスに騙されて乗せられたり(「ダラムサラは遠かった」)や、山中で車のシャフトが折れて立ち往生したトラックに遭遇し、乗客たちが力をあわせて工事中の排水溝を埋めて道をつくってすり抜けたり(「キナウル・カイラスを求めて」)、といったアクシデントには事欠かない。

おまけに、

ダライラマは外国の観光客とも会ってくれて(もちろん予約制らしいのだが)握手までしてくれるといった話や、

バスで通勤している物乞いのばあさん(「ダラムサラの日々」)とか、

よそ者と触れると穢れると信じていて、外国人に土産物を売りつける時も、足下に投げ出して売ったり、村の至るところに外国人がさわってはいけない聖なる石がころがっているマラナの村(「マラナ伝説」)

とか、

なぜインドには「野良牛」が多いのか(「街の中で暮らす牛」)といった「インドだよねー」というか「外国だよねー」といったエピソードは、いつもながら豊富である。


最後の締めは、カルカッタで一番汚いところといわれている「サダムストリート」の安宿紀行。

こういった旅本の場合、旅先の美しい風景とか、現地の人との心温まる交流とかよりも、こうした安宿街の、ザワザワとしていながら何かしら儚いエピソードの方が興味深く読めるのは、私だけではないはずだ。

いつの間にか消えてしまった物乞いとか、相も変わらず怪しげなものを売っている絵葉書売りとか、いかにもボリそうなリキシャの親父とか、あやしげな安宿街の風情を楽しむことにしよう。

そして、この章には、汚いだけと思っていたカルカッタが美しい街に変わった瞬間のエピソードが紹介されている。あえて、まるごと引用すると

「初めて僕がカルカッタにやってきたのは、もう十年以上も前のことだが、最初は僕もその不潔さに動揺した。見方が変わったのは、サダルから少し歩いた安食堂に入って食事をした夜からである。テーブルからふと外を見やると、ドアの外に広がっている景色がまるで映画のスクリーンのように見えたのだ。
 小さな食堂には裸電球がひとつぶら下がっており、ドアの外にはオレンジ色に輝く街灯が立っていた。通りはほこりっぽく、街灯の光はほこりに反射してオレンジ色にきらきら光っている。その中を、色鮮やかなサリーをまとった女性が通り過ぎ、リキシャが鈴を鳴らしながら走り去っていく。
 熱帯のうだるような暑さの中で立ち上る人々の汗、食べ物の臭い。あれほど汚いと感じていた街から、その瞬間、現実感がすーっと消えていき、自分がまるで映画の場面の中に投げ込まれたような錯覚に陥ったのである。」(「美しきカルカッタ」)

埃っぽいだけの街が一瞬にして変わっていく姿を、鮮やかに感じさせる一文である。
旅本の良さは、こうした他人の経験を追体験できるところにあるのだろう。

最近、蔵前仁一さんの旅本にこっている。

旅本作家の旅先は、行き先が自然に偏ってくるのが通例みたいで、例えば下川裕治さんの旅先は、沖縄、タイといったところが多くなっているし、今は旅本を出すことも少なくなった岸本葉子さんの場合は、中国・台湾がメインで、ときおり北方領土といったところだ。

そうした目で蔵前仁一さんの旅本をみるとアジア、それもインド、チベットあたりが一番多いように思うのだが、この本の場合は、そういうことではなく、それまでの蔵前さんの旅を集大成するかのように、アジア、中国、インド、アメリカ、ヨーロッパなどなどと幅広い。
アメリカやヨーロッパを取り上げる旅本は最近珍しいのだが、それよりもまして珍しいのは、「イエメン」が取り上げられていること。


ところで、「イエメン」ってどこか知ってます。実は、私もとんとどのあたりか御存じない状態だったのだが、章前の地図を見ると、アラビア半島のさきっちょである。


昔はシバ王国であったとのことで、歴史的には日本よりずっと老舗なのだが、そこはアラビア、なんとも風情が違う。部族国家であったことを反映して、未だに半月刀をもった男がいたり、ライフルで武装していたり、砂漠に残る巨大な廃墟であったり、アジアの豊饒で湿っぽい感じのたたすまいとは、まったく違う、なんというか乾燥してパリッとしたアラビアが広がるのである。


おきまりの安宿、香港・重慶(チョンキン)マンションにまつわる旅行譚や「舌が痺れるほど辛い」のであって、「ご飯を大量に口にかきこんでなんとか辛さをしのぐ」元祖麻婆豆腐を体験したり、インドの「ホテル・ラクシュミ・ナラヤン・ババン」の想像を絶するほど大量で、しかも最後まで食べないと、その内容をすべて味わえない仕組みになっている南インドのミール(定食)とか、定番っぽい旅本のワハハ的エピソードは満載である。

そのほか1979年のアメリカ留学と1999年の再びのアメリカ・ニューヨーク旅行まで、アジアからアメリカまで世界に様々な旅の姿が楽しめる一品。

ちなみに表題の「旅人のピーコート」とは筆者がギリシア・アテネで同じような境遇の日本人の旅人からもらった厚手の紺色の分厚いコートのこと。このコートを着て寒いヨーロッパを旅したらしい。まさに袖すりあうも他生の縁を地でいく旅のエピソードである。

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