2007年3月アーカイブ

「冬狐堂」こと宇佐見陶子シリーズのミステリー。 今回は、陶子が贋作をつかまされてしまうことから始まる贋作(フェイク)ミステリーである。

発端は、宇佐見陶子がヤリテ(いろんな意味で)の古物商 橘薫堂から発掘モノ(古墳などから出土した遺物。ほとんど盗掘などの非合法的手段によるものが多いらしい)と称する「唐様切子紺碧椀}(有り体にいうと青色のガラスの椀ってことか?)を手に入れるのだが、それが偽物。おまけに、それを買った時の道具立てが、贋作のフッ化水素の臭いに気付かないようにするために茶室で、茶を焙じて鼻を効かなくするという「目利き殺し」(品物の欠損を、あの手この手でごまかす技術)を仕掛けられてのこと。
プライドをいたく傷つけられた陶子は、橘薫堂に、目利き殺しの仕返しを謀むが、そのうち、橘薫堂の右腕とも称される女性従業員が殺されて・・・。
といったところからスタートする。

この「狐罠」で、陶子の別れた旦那さんが登場したり、殺人事件を調べる警察官が、かなり癖のある刑事二人だったり、キャストは豊富なのだが、なんといっても読んでいてワクワクするのは、贋作師の塩見老人と出会い、彼と共同で橘薫堂を仕掛けるための贋作を作っていく過程の様々な贋作の蘊蓄と、この世界に蠕いていた世界各地の贋作師のエピソードだろう。

例えば、室町前期の漆器の贋作の材料に、法隆寺の昭和の大改修の時に闇で手に入れた古材をつかうくだりや、漆のひび割れた古色を出すために人の脂肪を漆器も表面に塗り込んだり、といった小技やメーヘレンという贋作師がフェルメールの多くの作品の贋作を暴露したのだが、美術評論家や美術館は自らの鑑定の不確かさを認めたくないため、贋作師が贋作を白状しているのに専門家は認めないという事態が起きてしまったといった話が散りばめられていて、何時の間にか、なんでも鑑定団的世界と、ギャラリーフェイクの「贋作」的世界に引き込まれていってしまうこと間違いない。

展開は、この陶子の目利き殺しの意趣返しと殺人事件の犯人捜しが、陶子のまわりを交錯しながら進んでいき、橘薫堂が、戦後まもない頃のフェルナン・ルグロの贋作騒動に絡んだ、叩けばホコリがもうもうと立ちそうな話や、大英博物館ケミカルラボ出身の凄腕の元キュレーター(美術館や博物館の資料収集や研究の運営にも携わる上級学芸員みたいなものらしい)が橘薫堂側の贋作鑑定や偽造に関わってきたり、といったかなり盛りだくさんなものを絡みながら進んでいくのだが、結末は、「えっ、あんた味方と思っていたのになー」といった感じ。

文庫本の解説では本当の古物商の世界や贋作づくりの世界とは、ちょっと違うみたいなことが書いてあったが、野暮なことは言っこなし。所詮、つくりごとのミステリーなのだから、作者がつくり出す虚構の世界に、どっぷりと浸ろうではありませんか。

「段取り力」っていうのは、いうまでもなく、筆者の造語。

一言でいえば何っていうのは、ちょっと難しくて、
 ・質の違いをきっちり見分ける
 ・大筋を外さない力と優先順位をつける力
 ・与えられたものの順番を入れ替えて、自分なりに組み替える力
といった表現で表されているのだが、要は感覚的に「段取りが良い」「段取りが悪い」といった感じであらわす以外ないものらしい。

ただ、的確な一言で表されなくても、物事をきちんと要領よく処理していく能力には間違いなくて、本書では
 ・トヨタのカイゼン
 ・建築家 安藤忠雄の例
 ・「プロジェクトホテル」の窪山哲男氏の話
など具体例をとって、さまざまな成功事例の中にある優れた「段取り力」を解剖していく。

で、後半部分からはその「段取り力」の磨き方というか鍛え方が紹介されていく。

どんなものかってネタばれしてしまうと、営業妨害なので書かない。本書を読んでください。さすが斉藤先生という感じで、サクサク読めて、ふーむ、と関心してしまう本である。

芸術にも造詣が深くて、やる気もまんまんのハドリアヌス帝の後半生が書かれる。 この皇帝、首都ローマにいたよりも、外地で統治していた期間のほうが長かった皇帝らしいのだが、そういった形の統治自体が成立したこと自体が、ローマ帝国がすでにかなり成熟した国家であったことの証でもあるのだろう。

おまけに、「一貫していないことでは一貫していた」のではなく、自らに忠実に振舞うことでは「一貫していた」といった人物だったらしいから、さぞや周辺の家臣たちは振り回されただろうなー、と古の人ながら同情をしてしまう。

この皇帝のときに、離散(ディアスボラ)の始まりとなる、ユダヤ反乱が起きるのだが、どうもこれが、単純な民族反乱や、どこかの王が反旗を翻したっていうのとは違うらしく、そうしたあたりは、本書の


ギリシアやローマの人々とユダヤ人では、自由の概念でもちがっていた。
もしもあなたが、自由の中には選択の自由もあると考えるとしたら、それはあなたがギリシア・ローマ的な自由の概念をもっているということである。ユダヤ教徒の、そして近代までのキリスト教徒にとっての自由には、選択の自由は入っていない。まず何よりも、神の教えに沿った国家を建設することが、この人々にとっての自由なのである。この自由が認められない状態で、公職や兵役の免除を認められ、土曜や日曜の急速日もOK、だから自由は認めているのではないかと言われても、この人々の側に立てば、自由はない、となるのが当然なのだ。

北、南と続いた中谷美紀さんのインド旅行記もこれでインド完全制覇の「東・西インド編」である。


この旅、忙しい女優業の合間を縫って断続的に、2005年の8月から2006年の1月にかけての4回にわたった合計3月の旅である。
しかし、しかしですよ、3ケ月のインドの一人旅といえば、立派なバックパッカーのような旅ではないですか。うーむ、やるなー。


東インドの旅の主要な部分は、シッキムを出発点にした、カンチェンジェンガへのトレッキング。トレッキング中のできごともそれなりに面白いのだが、一番は、近くのナーランダやブッダガヤで珍しく宗教談義になっていくのが興味深い。高地っていうのは、人間を神秘に近しいものにしてしまうのかな。


東インドに続く西インドではゴア(この地名で昔のとあるTV番組を思い出してしまうのは、中年の証拠か)、ムンバイから始まる旅。
高地の空気を反映してか少し冷たい感じのした東インドの旅に比べ、熱を帯びてきているように思うのは、西インドが歴史も古い上にエローラの寺院やら人臭い観光地がたくさんあるせいか、それとも、ベジタリアンをちょっと緩和して、魚ならオッケーとした筆者の心のゆとりのせいだろうか。

北インドのちょっとどぎまぎしていたインドの旅も、さすがに4回目ともなり、インドのそこかしこをまわった後となると、どこかしら、筆者の筆致にも旅行作家っぽい風格が出始めている。


インドの旅の最後は、こんな言葉で締められている。
「いかなる形にせよ、この瞬間をただ生きているということが何にも勝る価値のあることなのだと、改めて気付かせてくれたインドを、大好きだとは言わないが、今は好きだと言いたい。」


3ヶ月の旅を終わり、控えめなインドフリークが誕生したように思うのは私だけかな。

北インドへの一人旅であった「インド旅行記」の続編である。


今度は南インドである。「インド」というところは、人により好嫌いがはっきり分かれる国だとは、さまざまな旅行記に書かれてあって、どうやら中谷美紀さんは、インド好きの方に分類されてきたようだ。

今回の旅は、バンガロール、チェンナイ(マドラス)、コーチン、マイソールなどなど、地図でみると、インドの逆三角形の大陸のとんがった方への旅。


こうした旅行記を読む楽しみの一つに旅行先の食べ物の話や地元の人とのやりとりを読むことがあって、地元で有名なベジタリアンレストランでの食事や「インド人の家庭の味」あたりのマドゥライのガイドの家庭で家庭料理を御馳走になるあたりやココナツミルクの匂いにやられて、だんだんと食が進まなくなり、イタリア料理やインド式タイ料理に逃避したりといった話は、インドにずぶずぶ浸かってしまって、「インドのものはなんでも一番」になろうとしない結構意地っ張りの女優さんらしく、妙な好感を抱いてしまう。

ガイドらしい働きをしないガイドとか、ヨガのクラスに関係していそうなのだが、怪しげな薬の臭いがぷんぷんする怪しい人物とか、インドにありがちで、やはりインドらしい、インド定番のキャストもきちんと登場してくるし、どちらかというとストイックにヨガの修行をできるところを探していたような北インドの旅と趣が変わって、どちらかというと「なじみのインド」らしい仕上りになっている旅行記である。

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