まず最初は、コンスタンティヌス大帝の次男であるコンスタンティウスである。とはいっても、最初から、コンスタンティウスが帝国全土を継ぐという形になっていたわけではない。
最初は、コンスタンティヌスの息子三人、甥二人で帝国を5分して統治することとなっていたらしい。
それが、大帝の葬儀の際に、甥二人が暗殺され、その後帝国を三分して統治していた兄弟が、最初は、長兄のコンスタンティヌス二世が、末弟のコンスタンスと北アフリカをめぐって対立して敗死し、コンスタンスは、圧政による民衆の不満を背景にした配下の将軍の謀反により自滅する・・といった経緯をたどって帝国を一人で支配することになったもので、この流れをみて想像出来るように、なんとも疑り深い皇帝であったようだ。そうした皇帝が副帝を任命するというのも不思議なのだが、もう、この時代のローマ帝国は、一人で全土を治めるには、皇帝によほどの能力と体力を必要とするほど、国家の体力が弱っていたということかもしれない。
2009年8月アーカイブ
この巻で語られるのは、三世紀終わりから4世紀はじめの、ディオクレティアヌス帝から、コンスタンティヌス帝の時代である。歴史家によれば、ディオクレティアヌス帝から、ローマ帝国は、元首制から独裁君主制に移行したといわれていて、5世紀には、ローマ帝国も迎えるのだから、このデイオクレティアヌス帝、コンスタンティヌス帝の治世というのは、蝋燭が燃え尽きる前に炎が大きくなる現象に似ていなくもない。
ディオクレティアヌスは、帝国を2人で治める「二頭制」や4人で治める「四頭制」といった、国力の落ちてきているローマ帝国がペルシアや蛮族の侵攻をくいとめる苦肉の策ともいえる統治策を打ち出す。この統治方式はローマ帝国を蛮族から守るシステムとして有効に作用するのだが、このシステムの本質は、長年、苦楽を共にし、心の通じ合った友人や部下と、帝国の統治を分担しあうという美しい側面ではなく、
分担とは、現にあるものを分割したのでは済まないという問題を内包している。分担とは各自の責任を明らかにすることでもあるから、その人々の間に競争状態が生まれるのは、人間の本性からもごく自然な方向とするしかない。四人はいずれも、自分が責任を負うと決まった地域の成績をあげようとする。
システムであるらしい。
しかし、この制度も、彼の引退後の、正帝、副帝の食い合いともいえる内乱が頻発する。やはり、国力の衰えというものは、統治制度だけでは補いきれないものなのだろうと、嘆息せざるをえない。
続きを読む: 塩野七生 「ローマ人の物語 ⅩⅢ 最後の努力」(新潮社)
